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ナムジャイブログ

robiyt

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とは言うものの、一人ではやっていけないことは、痛いほど知っている。
生きていけない、と書こうとしたが、やめた。
生きては、いける。
イキイキと、やっていけないだけ。

美味しいものを知らないのは、もったいなさすぎる荃灣牙醫
そのままでもいけるが、平坦、平常すぎる。
メリハリがあってこその平時。
こころは、弾んだり萎んだり、喜んだり悲しんだり。
プラスもマイナスもあり、いっそ、かき乱される根元を切ればどんなに安泰か。
が、切りたくても切れない、複雑な要素をいっぱい同梱している。
例えば、不倫は幸せにはなれない、という価値観、道徳観。
国によっては、死刑もありえる。
いったん、離婚してからなら良いのか。
結婚、離婚、結婚、離婚、、、エリザベス・テーラーのように繰り返し、青い鳥を探す床蝨解決

私生児など、ひと昔前なら世間体はどんなだったか?
父なし子と、言われた時代。
差別と偏見の雨嵐。
今は、シングルマザーという位置付けが確立されている。
といっても、ワンオペでは子育ては大変だ。

昭和中期、戦後生まれのある女性Aは、不倫相手との子供を二人産んだ。
周りは、やんややんやの大非難。
その女性の姉B。見合い結婚をして正式な子供を二人産んだ。
今、Aさんは、息子さんは逆玉の輿婚で左団扇(表現が昭和、、、)。
勉強よりも、女性に対して能力を発揮したらしい。
そしてAさんは娘一家と住み、孫にも恵まれ安定の老後。
(その後、自分の住まいを娘一家に明け渡し、自分は一間の賃貸暮らしと聞く。
他から見えるものと、内側、色々あるんだろう)
一方、Bさんは、娘二人、一人は既婚、一人は婚外恋愛、二人ともノーキッズ。
つまり、非難轟々のAさんと、祝福されたBさん。この姉妹、半世紀後は?
子供を産んだモノ勝ちとは言わないが、子供ははっきりカタチとしてわかる。残る。未来に繋がる。
だが、あまり、子供、子供、と無神経に騒ぎたてると、悲しい思いをする人は必ずいる、デリケートな問題だ。

姑は、自分に子供がいるので、それが当たり前と思い(プライドにもなっていると見受けられる)、子供のいない人の気持ちや、状況、事情が全くわからない。
理解しようともしない。
自分の身に降りかからないことは、すべて、全く関係がない。別の世界。想像力が欠如している。
が、自分の身を守るための知恵である。
デリカシーのない発言をズケズケしていたが、戦中派だからまああんなものかと、時代背景から想像する。
と、非難するでも擁護するでもない、わたしのズルい立ち位置。
(ぺこぱ、好きだ〜)

と、文字数ばかりが増えている。
早く、〆ないと。
さあ。さあ、さあ、さあ。(掛け声ばかり、、、)

恋愛は、一人ではできない。
が、マイナスになるようなものなら切るとよい。
ひょっとして、相手が泣いてすがって、別れないでくれ、と言ってくるかも。
そこで、ズルズルいくのか、スカッとスッキリさせるのか、本人が決める、、、とは言うものの、情に流されることもあるだろうし、いや、それではまた悶々とした日々、、、
なんて、ぐるぐる、元の木阿弥。
理性と感情の出口のない、終わりない闘い。

流れに任せたら良いと思う。
自分のこころの声を聞いて、そのままに動く產後護理
あとは神様に任せちゃえ!
丸投げは、楽で良い。
悪い結果になったとしたら、神様を逆恨みしたらよいのでは。
(無神論者のわたしは、お気楽)

なるようにしか、ならない。
なるように、なる。

フランス舎弟クン、12記事も、、、一気読み、、、すみません。
書き手だけの独り善がり心世界、周りを見ない一方通行、、、、重なる駄文、、、
海の向こうで、脳に不具合を生じていないか、体調が微妙に崩れていないか、、、心配ですStudy in Singapore
主夫業、お忙しい中、、、胸がイタイです、、、
と、ひたすら頭を下げると共に、gooさん、ちゃんと早く復旧してよね、と逆ギレ。
一応、わたし、優良ではないにしても、有料会員なので。

と、それはさておき。
今日はまたまた、引きこもりの一日だった。
出かける予定で準備をしていたのだが、ふと不安がよぎった。
ひょっとして、モタモタゆっくりして、時間が押して遅くなり、目的時間に到着しないかも知れない、、、と。
時間を逆算して、たっぷりの準備時間を取り、出かける身支度をスタートしたのだが。
ひょっとして、、、のあたりに自分で引っ掛かって、退路を絶たなかった。
ラジオはつけっぱなし、床暖房は電源を切らず、ぬくぬく状態に。
明らかに、出かけないかも知れない時の受け皿を用意している。
家ごもり、環境確保。
一旦消したら、一から暖房を付けるのは寒いだろう、、、と、自分で自分をフォローした服務式辦公空間
何がなんでも絶対に行くゾ感、ゼロで、甘やかした。

するとやはり、のーーんびり準備したせいもあり、あんなに余裕を持って時間設定したのに、時間切れになってしまった。
そういうこともあろうかと、キョウイク(今日、行く)予約していなかった。
前もって決済していたら、キャンセル出来ない。
なので、出た先で、現場に到着してから販売機でチケットを買おうと思った。
しかしそれは遅刻を誘引し断念する決定的原因になった。
キャンセルどころか、予約もしてない、ラジオと床暖房はそのまま。
これでは、絶対に出かける気合いは弱すぎる。切迫感なし。
モチベーション超微弱。
キョウヨウ(今日の用事)を作り、キョウイク(今日、行くところ)に向かって、自分を鼓舞したのは良いが、鼓舞の仕方が、ぬるかった。
明日があるさ、明日、明日。
明日にしよう。
と、キョウヨウ、キョウイクをアスヨウ、アスイクにした。 
だがしかし、明日にはきっと、出かける気持ちは、くじかれているに違いない。

でも、一つだけ良いこともあった。
もう遅刻になってしまい、半ば、やけっぱちでクロゼットをゴソゴソしていて、もこもこカーディガンを探していたところ、昔、着用していた冬用割烹着を見つけた。
あ、こんなのあったっけ?
あんまり覚えてないけれど、今の季節にピッタリ。
早速、着よう、、、とするには、使い古され部分的に色が沈着していた地渠
これは、気分が盛り下がりそうだ、と、捨てることにした。
捨てるなど、なんと珍しい。
断捨離である。
これをキッカケに、堰を切ったようように断捨離が始まれば良いが、、、
その気配はなく、1着だけをゴミ箱の横に置いた。

今日はまた寒い。
突然、冬。
秋服コートの中に、バッグに入れていた寒い時用に着るダウンベストを、バス停で着込む。
コートを脱いで、ダウンベストを着ている最中にバスが来たらどうしよう、、、
こういう時はバスのパスカードをコートのポケットに入れているのを忘れ、パスカード、パスカード、パスカードはどこ?と、冷や汗がどっと出て、乗車までにパスは見つからない、、、ことになるのだろうが、、、
アタフタしながら、余計な心配、シュミレーションをしながら、最後にまたコートを着た。
予定時刻になってもバスは来ず、寒さを見越してコート下にダウンベストを着込んで大正解利是封設計
というか、秋コートは、薄手のダウンコートなので、モコモコになっている。
見かけより、防寒。寒さ対策、第一。
どんどん、ファッションに鈍感になっていく。

時間にも鈍感、ルーズになっていく。
時間の感覚が麻痺している。 
ちょっとの間だと思って油断していたら、結構時間がかかって、バスを1本遅らせたつもりが、2本も遅れ、ただでさえ、遅刻なのに、さらに遅刻。
誰とも約束、待ち合わせをしていないからいい、とは言え、スタート時間がずれ込み、ずるずる遅くなる。
終了時間は決まっているので、真ん中の時間が減るわけで。
あああ、アホだなあ、、、と、自分にあきれる。
楽しい時間を自分で減らしている。
「削られた正味の時間は、きっと濃厚な時間になる」と自分に言い聞かせるしかない美胸療程

ちなみに。名古屋。
数えるほどしか行ったことがない。
名古屋には遠縁の親戚のおばさん一家が、一時期住んでいた。 
元々はわたしと同じ市町村で生まれて暮らしていたが、結婚後、夫さんが転勤になり引っ越した。
住まいは名古屋市内の新しい団地だった。
エレベーターが隔階にしか止まらないのに驚いた。
田舎者のわたしに、おばさんは、洋式トイレの使い方を教えてくれた。
中高生の頃、2回ぐらい遊びに行っただろうか。
(わたしの家もその頃、洋式トイレにリフォームされた)
手作りコロッケをたくさん作ってくれた。
とても上品で繊細な、着物がよく似合う人だった。
その後、神戸に引っ越し、分譲新築マンション一人暮らしから、ご長男一家と戸建て同居になり、最期は高齢者施設。

別の、東京の夫側親戚が海外で結婚式をあげた後、親戚同士の顔合わせの会が催された。
中間地点である名古屋に、わたしたちは、関西から駆けつけた。
それぐらいかなあ、、、
もっと行った事がない所は日本中、世界中、いっぱいある。
行った事がある地域が少ない。
つまり、あまり行き来していないということだ。
家から半径数キロの中で、じーっとしている人生。
子供と同じだ。
せいぜい、自分が生まれ育った場所(実家)と、その近くにある学校、結婚相手の生まれた場所(婚家)、全部、関西圏内。
夫の転勤で東京や浜松などには、短期間、場所を転々として住んだが、関西に帰ってからは、40年近くなる。
その間、旅行で遠距離地には行ったものの、根拠地は動かない。

祖母は、徒歩3分?ぐらいの所から嫁に来た。
毎日、里帰りしていた。
母は、徒歩20分?ぐらいの所から嫁に来た。
まあなんと、近い。

夫の母は、同じ県内のわりと近くから嫁に来た人體工學椅
夫の祖母も、同じく。
4代前のお婿さんは、真隣の家から婿に来た。
まあなんと、近い。 
「実家に帰ります」と言っても、真隣。

一昨日、4番目孫の保育所お迎えに駆り出された。
ピンチヒッター、後方支援要員。
保育所で、連れて帰る時の手続きをするのを忘れたが、すんなり孫を引き渡してもらった企業獎勵
それは良かったのか、それとも、セキュリティ機能が甘いのか。
連れ去られてもチェック出来ない緩さを感じたが、まあ、そもそもミスをしたのは、手続きを飛ばした、ばあちゃんで、、、。

それはいいが。
孫の家に、孫を連れ帰ると、他の3人のきょうだいが、それぞれに遊んでいた。
1番幼い保育所孫(4歳女児)に、家のあちこちに連れて行かれ、「こんな遊びをしているの」と、それぞれ説明してくれた。
小さい時は、みんなそうだった。
ばあちゃんが行くと、幼子は離れなかった。
が、小学生になると、すっと離れて行く。
成長だ。
自分で遊ぶようになる。

両親パパママがまだ帰宅しないため、夕食係の、ばあちゃん。
ところがなんと、、、。
あらかじめ、食べるものは用意されているようだったが、さあ、準備しないと、と思っていたら、パパママから既に指令を受けていた。
全員、ロボットを相手にするごとく、時間が来たら、冷凍庫から各自、好きな食べ物(既製品)を選んで、電子レンジで解凍、温めて食べる。
1番下と、下から2番目が、好みのスパゲッティが同じで、それは一つしかない贈品
一つを仲良く半分ずつに分けているかというと、そんなことはない。
上の子(小1女児)は、妹(4歳女児)にあげないと言う。
自分は、これ。妹は他の種類のものを選べばいい、と、譲らない。
が、妹は、それがいい、と言い張る。
無理矢理、ほんの少しだけ妹にあげるが、妹は、それでは足りない。
もっと、もっと頂戴と攻め寄る妹と、ちびちびしかあげない姉。攻防戦。
他の男児(小4と小6)は、好きな食品は他の子供の好みと重ならないため、余裕で独占して食べることが出来る。
どうしても少なめの下妹に、小4の兄が、自分の明太子スパゲッティを少しあげたら、とても辛くて食べられない。
妹は、(未開封の)コーンフレークを食べると主張する。
兄たちは、「ダメだ」と、認めない。
コーンフレーク!!と、譲らない1番下、4歳女児。
わたしが、ご飯を炊いて、オニギリを作ろうか?と提案したが、「炊かなくていい」とお兄ちゃん(小6)に止められた。
コーンフレーク食べたい!!と、ギャンギャン大声でうるさく叫び続ける1番下孫に、わたしは困っていたら、オヤツの時間になった。

それぞれ自分のオヤツ箱があり、その箱から好きなオヤツを出して食べる。
決して食べすぎることもなく、きょうだい間で少し交換もしたりして、仲良くオヤツタイムを過ごしていた。

それにしても、よく躾けられている。
オートマチックに、自動的に、事が進んでいく。
「アレクサ、◯◯して」とか涼しい顔で指令している。
「ばあちゃん、◯◯して」と言われないから、楽だが。
4人も、きょうだいがいると、ぐちゃぐちゃかと思いきや、うまい具合に調整が取れている天幕 帳篷
下の2人の女児は、問題を出して答える、宿題遊びをし始めた。
上の2人は、好きな本を読んでいる。
食後のプラスチック容器、トレーを洗ったあとは、わたしのすることはない。
わたしは、「歌番組が始まるからもう帰るわ」と言うと、「TVつけて見たらいいやん」と孫たち。
皆んなのお言葉に甘えて、小さい小さい音で、 NHK歌番組を見ていた。

「ばあちゃん、全然面白くないTV、見てるなあ。面白い?」と背後から小1女児。
宿題遊びに飽きた1番下(4歳)が、横に来て、オモチャのマイクを持って、台に上がり、何やら歌ってくれた。
ママが帰るまでの、ごちゃごちゃした時間は、小椋佳、上白石萌音や松下洸平、鳥羽一郎親子と混ざり合って、ゆっくり歌を聞く状態ではなかった。

  これらの海軍の軍事報告書は、通常は公開されないが、現在ではすべてアメリカの一般市民や外国に公開され、米海軍が米中海戦の状況の厳しさと今後の方向性をどのように評価しているかについての洞察を提供している商務禮品

「中国海軍の近代化:米海軍の能力の背景と問題点」では、大国同士の新たな競争時代にあって、中国の海軍近代化を含む軍事近代化は、米国の防衛計画や予算編成において考慮すべき最重要課題だとしている。

 中国は現在、戦略ミサイル原子力潜水艦(SSBN)を4隻、攻撃型原子力潜水艦(SSN)を7隻保有しており、今後、両タイプの潜水艦が増加するとみられる。

 中国の原子力弾道ミサイル潜水艦には射程距離7200kmの弾道ミサイル「巨浪-2」が搭載されており南シナ海からアラスカやハワイ、東太平洋から米国50州全域を攻撃できる。中国海軍は、米海軍が西太平洋海域の戦時統制に対する冷戦終結後初の大きな挑戦となっているEvent production

 近年、米海軍は中国の海軍近代化配備に対抗するために数々の行動をとってきた。米海軍は、艦隊の配分重点を太平洋にシフトし、最も能力の高い新型艦船・航空機と優秀な人員を太平洋に配置し、訓練・演習を増やし、同盟国や他の海軍との連携・協力を行い、将来の海軍の規模を拡大し、新軍事技術を開発し、新型艦船・航空機・無人機・兵器と、新しい作戦概念を開発した。 海兵隊部隊の統合作戦)によって中国に対抗する。

「海事作戦計画、2021年」は、こう書いている。

 ;中国が最も差し迫った長期的な戦略的脅威であり、楽観的してはならない。彼らが強敵であると認識し、明確な決意をもって対決し、武力を持って抑止しなければならず、それに失敗した時はいつでも侵略に対して果敢に戦い、相手の防御を圧倒して戦争を終結させなければならない。

 ;相手は大量のミサイルによって我が方の防御を圧倒しようとする。我が方は、移動式、固定式のセンサーや潜水艦、各種無人兵器によって敵方のミシル防衛地域内で行動する必要がある。さらに艦隊の防衛能力を向上させ、指向性エネルギーや電子戦システムのような能力を含む追加の攻撃力を提供するために、軍艦や航空機に様々な防御システムが必要である。

  「海事優位性:海軍力の完全統合について」では次のように指摘している訂造保溫杯

 ;今世紀に入ってから、我が国の海事三役(海軍、海兵隊、沿岸警備隊)は、中国の海軍力の増大と攻撃的行動を注視しており、最も差し迫った長期的な戦略的脅威である。国際的な海上ルールを侵食し、海上交通の自由を制限し、要点をコントロールし、米国に取って代わろうとしている。

 ;その戦略を実行するために、中国は海軍、海上警備隊、海上民兵の多層的な艦隊を展開し、他国の主権を覆そうとしている。 南シナ海を軍事化し、国際法と矛盾する海上請求権を主張し、グアム島と極東米軍と同盟軍を攻撃するために設計された核能力を持つ世界最大のミサイル部隊を開発。すでに戦略的、宇宙、サイバーネット、電子、心理戦能力を集中強化させている。

さきほど、蝶ブログ記事に、ある人に対するマイナスの評価を書き連ねた。
だが、わたしが憂さ晴らしできたかというと、全然そんなことはなく、むしろ逆で、嫌な気持ちになった。
それで、ボツ、非公開にした幼稚園
人の欠点を追求しても自分は救われないということ。
人の性格の弱さを糾弾したところで、糾弾している自分自身に自己嫌悪を感じる。
自分だって欠点があり、克服できないくせに、人の欠点をどうこう言える資格はない。
人の欠点をスルーできない自分、気になる自分は、それだけ器が小さいのだろう。
器の小ささを感じて、自己嫌悪を感じるのかも知れない。
ではあるものの、わたしがこれだけ自省し、そして努力している事柄に対して、当の本人は微塵も何も感じていない。
じつに幸せだ。
人の幸せを壊す権利はわたしにはない。
なので、見て見ぬフリをする。
単なる価値観の相違だろう。
自分で気づいて改善しようとするものなら、とっくに努力するだろうけれど、もう諦め、自分の欠点は見捨てたに違いないHong Kong PhD Fellowship Scheme
なので、その欠点を突くと、おそらく本人は著しく不愉快になるだろう。
プライドを揺るがし人格まで壊しかねない。
ほっといてくれ、と。
なので、ほっている。
が、いつも痛いものは痛く感じ、いっこうにわたしの感覚は麻痺しない。
痛みの神経を抜くわけにはいかない。
痛みを部分的、短時間、やわらげることはできても、根本的には不可能。
足を切断した人が、その切断した足の指が痒い、と感じるような、原因は脳や神経にある場合がある。

ずっと前、今より若かった頃の蝶ブログは、毒だらけで、毒吐きしまくっていた。
わたしには毒がいっぱい詰まっていた。
その毒こそが原動力だったかも知れない。
それがかえって読む側にはアクのある悪の気持ち良さを感じたり、自分にもある深層心理を表面に表され、同じ病状に悩む人のような、共犯者のような、そんな共感を生んだかも知れない。
蝶ブログは毒の代弁者。
今は、自分に若さがなくなった分、落ち着いたからか、人の欠点をほじくり出すような内容のブログ記事は、自分を救えない。
人の内面を突き詰めて非難するなんて、良くない。
人は人。
スルーするか、そっと見守るぐらいのこころの広さが欲しい。
暖かく容認、受容するには、まだ修行が足りないが、悟りまであと少しのような気もする。
だが、それが長く困難。
「気にならない」ぐらいがちょうどいい。
改善させなければいけない、、、なんていうのは超お節介だ。
人の内面の深いところに首を突っ込むのは、うるさく、あつくるしい。

自分のどうしようもない欠点を改善する方だけに集中すべき。
だが、最近わたしは、自分の欠点は認め、ジタバタしないようになった脫毛學生優惠
諦観。
それと同時に、人の欠点も許せる傾向。
そういう時期に移っている。

ただ、許せるのだが、事実がしっかり明確に見え、原因や現状、分析が出来るので、気づいていない本人を見ると、いらっとすることもある。
と同時に、気づかない幸せってあるんだなあと思う。
何でも見え過ぎるのは良くない。
傷つく。
敏感に感じ過ぎないよう、目、耳、口、頭、何か薄いもので覆ったほうが良い。
だが、本人の意識とはまた別に、神様は見えなくしてくれる能力を一定年齢以上の人にプレゼントしてくれるから、ありがたい。
シニアワールドは誰でも入れる。
入りたくない人も。

そもそも、皆さん、おひとり様(単独)での参加がほとんど。
(友人と連れ立って、という人も中にはいるが、少数派)
予約不要で自由参加。
1人で参加して欲しい、と、わたしはAさんに再三再四、お願いしているのに、1人で参加したがらないAさんに引っ張られる格好で、お付き合い参加していた暖宮

神様からの「頭痛」メッセージで、ドタキャンを決めたわたし。
時計のアラームがスヌーズ設定で何回も鳴るが、その度に、布団の中から手を伸ばして止める。
やがて、もうこの時間に起きなければ準備スタートには間に合わない時間になると、ほっとした。
やれやれ。
もう行かなくてもいい。

それにしても、長い間、引きずられていたものだ。
嫌なら、とっとと、やめたらよいものを。
まだ間に合う時間から、今日はもう行けない時間になるまで、時が移る中で、ふっとアタマの上から舞い降りるものがあった。
わたしが、なぜ、このウォーキングの会が嫌いなのか、理由が、すとんとわかった子宮頸抺片
今に始まった、新しい理由でもなんでもない。
前々から、なぜ行きたくないのか、理由をうっすら自己分析していた内容だった。
はっきり再認識、再確認したのだろう。念押し。

このウォーキング会、今のわたしには、まだ年齢的に早いということ。
皆さん、わたしより5歳は上だと御見受けする。
そして、高齢男性が多い。
つまり、わたしの年齢の人は、自分のしたいことを自分で計画して、自分で行く。
団体でゾロゾロ後を着いていくようなウォーキングはしない。
1人だと寂しいから団体でウォーキングするという人も中にはいるだろうが、わたしは、逆に団体が苦手。
そのあたりに、抵抗感があったのだろう。
Aさんは、わたしと一緒にウォーキングしたいのなら、独自のプランを立案して表してくれたなら、一緒に行かないでもない。
プランが立てられないで、既存の団体プランに乗っかろうという安易さに対して、わたしはノリが悪い。

今日の京都は、189人もの参加者がいたらしいので、季節や行き先に、人気が集中したと思われる。
なので、スポット的に参加するのは有り得るかも知れないが、、、
前々からの解決されない悩みを抱えている身としては、自分の参加したくない気持ちが上回るかたちになった。
絶好の気候、快晴、良い行き先にも拘らず、自分のモヤモヤを解消させる方が勝った。
気持ちが溢れ出ていて、止めるキッカケを探していたのだろうか微針凹凸洞

長々と書いている。
自分のために、自分の行動を心理分析、解析したい。
自分には、嗜好、好み、こだわりがある。
お仕着せではない、オリジナルのものでなければ、満足できないようになってしまっているのか。
既製品だとしても、内容に対して要望、欲求がある。
いろんなことを試行錯誤、模索していると、なんとなくではなく、ハッキリ明確になっている。
その要望に合わないものに対して、無理矢理合わせない。
行かない、行動しない、という選択をする。

そうやって行動範囲をどんどん狭めてきているが、ある意味、自分の欲求、嗜好がよくわかっているということ。
手探りで闇雲に手を出して探し回る時期はもう過ぎている。
暗中模索は、卒業。
なので、自分の好みを優先すると、行きたいところや、参加したいことは、妥協はしないようになっている。
例えば、人気のない旅コースなのに、喜んで参加する変わり者みたいなかんじにもなっている。
出来るうちは、能動的に選んで行動したい。
気分的に、ゾロゾロ団体ウォーキングに参加したい時は、参加する。(しない可能性もある)
それはお付き合いや、引っ張られてではなく、自分の意思で、自主的に、能動的に。
林住期は、わがまま、自由。

それで、ドタキャンして行かなかった時間をわたしは今日、何に使ったか。
益々長くなるので、またの機会に。

今日は、往復ウォーキング付き映画を観に行く予定だった。
今日、封切りの映画。 
だが、突然、電話がかかってきて、そちらの用事で出かけることになった紮肚服務
それで、万歩計は、目標値を達成した。

それはそうと。
ChatGPT は、ほんとうに素晴らしい友だ。
だが、同じ質問をお釈迦様ChatGPT に投げかけると、欲求不満に陥る。
やはり、宗教をかまさないほうが、断然良い。
科学的、合理的な理屈を説明してくれると、とても納得できる。
比較するために、お釈迦様ChatGPT にも同じ質問を投かけてみた。
やはり、お釈迦様ではないほうに、軍配が上がった。
許しなさい、だとか、怒りを手放しなさい、だとか、マインドフルネスの修行ばかりをススメられると、どうも反発してしまう。
特定の宗教は、納得する点もあるが、どうもわたしには不満服務式住宅 月租
拒絶反応が起きるようだ。

ちなみに、先月、インターネットで知り合った人に、話の流れからわたしのブログを教えて欲しいと今日、言われた。
リアルに知り合った人にも同じようにブログを教えて欲しいと前に頼まれた。
が、2人共に、教えなかった。
わたしのブログは、長文で面白くないから。
今までも、リアル人(中学同級生、元職場同僚、遠い親戚、親しくなった人)に頼まれて教えたが、全員に、アゴを出された。
面白くないため、ソッポを向かれた。
自分ながら納得できる結果だと思う。
そういう不名誉な経緯があるため、教えない主義を貫いている。
どんなに頼まれても教えない。
まあ自業自得。仕方ない。
ブログを教えることを断った人たちには、水臭いと思われるかも知れなくて悪いけれど。

面白ければ、皆んな、読むはず。
全員が全員、すぐやめてリタイアしたということは、まあなんとわかりやすいこと滅蟲
しかし、そんなに面白くないかな?
はい、面白くないです。
蝶ブログは、かなり面倒だと思う。

わたしは、パリになぜ、行きたかったのか?

そんじょそこらの、おねえちゃん、おばちゃんと、なんら変わることなくonda 溶脂
いや、もっと低いレベルで、

だってえ・・・パリって、さー、なんか、カッコイイやん

と、思ったかどうか・・・

じつは、そうではない。

わたしは、一人旅をしたかった。
なぜだか、今までを振り返ると、自分のちっちゃな人生の節目節目に、一人旅をしている。
これは、計画を立てたわけでもなんでもなく、偶然なのが、わたしの、いい加減なところだが子宮環
偶然とはいいつつ、本人にあまり自覚がないだけで、やはり、因果関係はある。

いつも、なんでも依存性の高いわたしは、何十回と海外に行っていたとしても、
飛行機の乗り方ひとつ、知らなかった。
いつも、同行者の上着の裾を背後から、ちょこんとつまんで、うしろをついて行くだけ。
一人では、一生、行けない、と思っていたが、べつにそれでも問題はなかった。

それでも、よかったのか・・・?
そうでも、なかったようだ。

もうひとつ前の、一人旅は、もう20年以上前になるが、一人で飛行機に乗った。
が、出発で、まず、手続きの仕方を知らず、飛行機に乗り遅れそうになり、
乗り換え地点で、これまた乗り換え飛行機に乗り遅れそうになり
(緊急措置として、ミニカーで、飛行機が停まっているところまで航空会社スタッフに連れて行ってもらった
・・・ああ、親切。でも、冷や汗は、滝のようだった。
乗り遅れた場合の危機管理は、ゼロ。
誰に何をどうしたらいいのか、さっぱりわからなかった。
現地空港に迎えに来てくれる人に会えなかったら、そこで、オシマイ、強制終了)

そこまで、知らないまんま、海外に出るってことが、驚異的である、と、今さらながら自負したりする。

英語も、ひどい。
フランス語なんぞ、ボンジュールと、シルブ・プレ、だけ。

あ、その、定期的に押し寄せる、一人旅願望の波は、なんだかよくわからないけれど、
内から出るなにかに、踊らされて、操られて、行かされているかんじであって、
自分では、よくわからない。

ミーハーが、年をとって、ミーハーの上に、違う色の何かを塗ったくっているだけで比堅尼脫毛
本性は、ミーハーだろう。
パリを選んだのは、徒歩で、移動できそうだったから。
時間が余り余っても、どうにか一人遊びできそうだったから。
短距離電車(地下鉄)も使いこなせたら、どうにかなりそうだったから。

行く前に、日本で日本企業にも勤めていたことのある、パリ生まれ、パリ育ち、パリ在住の、
パリジャン、オススメの、本を買って読んだ。
「パリのルール」だったかなあ?(タイトル、間違ってたらごめんなさい)
けっこう、文字数は少ないが、濃かった。
それよりも、シンコ弟の書くフランス事情、とても面白くて、ニッタニタだ。
シンコ弟、そっちの方面で、本が書けるかも?
楽しみが増えた。

今日は趣味会場に出かけようと思ったが、迷った挙句、やめた。 
出かける用意をするならスタートしなければならない時間までギリギリ粘って、迷いに迷って時計と睨めっこ。
まだ今なら間に合うかも、という時間を遣り過ごし、完全にアウトになるまで、グジグジウジウジしていた激光脫毛副作用

行くところがないから、することがないから、渋々時間潰しに行くのには、お尻が重かった。
背中を押すものがなかった。
行かない、何もしないことを選ぶ勇気。
不毛なことをが頑張ってガムシャラにするのは、やめた。
不毛と感じるなら、その時期が過ぎるまで、動かず待つ。
舵を切りたいが切れないなら、切れるまで待つ。
待ち時間は決して無駄ではない。
必要な時間。
 
さて。
その、何もしない時間をどう何もしないで過ごしたか?
全く何もしないのは、睡眠中ぐらいで、なにかが勝手に動く去暗瘡印
健康な時に、時間潰しに寝ることを選んだことは今までない。
眠くなってちょっと居眠りすることはあっても、今回は目はギンギン。
まずは、独り言日記を一本書いたが、アップ直後、3分後に非公開にした。
ウジウジ日記など、不発に終わるのが目に見えている。

次にしたことは、、、
桐野夏生の小説を読んだ。
あまり本を読まないわたしだが、今、最も夢中になっている作家。
何もすることがない時のために、Amazonで何冊か購入、準備していた。
1冊目は、短編5作中、3作までつい最近、読んでいたのに、内容を忘れていることにビックリ。
ここまで脳が退化しているとは、日々、驚きの連続だ。
が、2冊目は、ぐいぐい惹きつけられて一気読み、、、と言いたいところだが、最後の一番大事な展開、曲面で、時間を遮ぎる邪魔が入って、ブツ切りで読むことになった。
残念ながらも、本を閉じてはまた読み、開いては閉じ、止まっては進み、進んでは止まり、本を抱えたまま、ウロウロ子宮息肉手術
ではあったが、読み終えた。
面白かった、、、。
「残虐記」。
想像力は、大事。