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ナムジャイブログ

robiyt

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話は戻る。
わたしの義姉はわたしと同じ年で、超優秀、頭脳明晰、学業優秀だった。
眉目秀麗、美人さんでもあった。
そのピカピカ頭脳に、息子の嫁がそんな人、、、父がゾッコン服務式住宅
わたしも、ゾッコンだった。
同じ年、同じ地域、時代背景も教育背景も同じ。
まるで話にならないわたしだったが、全く卑屈にはならなかった。
なぜか?
相手にならない。 
引っかかりもしないからだ。
ドングリの背比べなら、熾烈な争いも生じるだろうけれど。
まるで違う分野、性質のものは、競争しようがない。
なので、ほほう〜、スゴイなあ、、、と、目を丸くして賞賛するのみ。
飛び抜け突き抜けている遺伝的なものは、競争できない。
オリンピック選手と100メートル走を競うようなことはしない搬運傢俬
やはりDNAの影響は絶大だと感じる。

で、バカはバカなりに、明るく楽しく生きるわけではあるが、、、
しかしながら、朗らかなバカを信条に生きていると、バカを見ることがある。
したたかな人に、自分がバカであることに気付かされず、やり込められる。操られる。
自分は、平等に扱われていないことにも気付かない。
一生、気付かないままが、平和で幸せだ。
中途半端なバカは、煮ても焼いても食えない。
いっそバカなら、まるっきり真っ白けの混じり気のないバカでありたい。
良い目をしている人に対して、何も感じないような、鈍感さを培いたい。
仏門に入るか、修行をするか。

でも宗教は、いろんな宗派があるにせよ、「人は皆、平等」という教えに貫かれているはず。
今は不平等でも、熱心に一心不乱にお経を唱えれば、あの世で幸せになりますよ、、、
そう囁かれても、目先の不平等さに囚われ、お経を唱える気になれない。
勝手にレースから落伍して、したたかな相手が喜ぶだけではないか、と。

死ぬ間際に病床で入信する人もいる。
ずーっと前から、幸せな時から信心している人が、それにもかかわらず不幸な状況に陥っているのを側から見て、
客観的にはなんのメリットもなく、救われていないと感じる人もいる。
生死観、宗教観、人それぞれ。
不幸な目に遭って、それがキッカケで入信することが多い。
現況、幸せな人は、さらに満足度を上げるために信仰するのだろうか滅床蝨
迷いや煩悩、欲を断ち切ったり、祈願達成のために滝に打たれたり、お百度を踏んだりすることがある。
120%頑張って、後は祈るのみ、なんていうのもある。
自分のこころと向き合い、奮い立たせる。
これは、上昇に役立つ。